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東京地方裁判所 平成6年(ワ)9481号 判決

主文

一  被告工藤智志は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告及び被告工藤智志に生じた各費用のいずれも二〇分の一九と被告中川広衛に生じた費用を原告の負担とし、原告及び被告工藤智志に生じたその余の費用を被告工藤智志の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  原告と被告中川広衛(以下「被告中川」という。)の間において、原告が別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)について、賃料月一二万円の定めによる賃借権(以下「本件賃借権」という。)を有することを確認する。

二  被告中川は、原告に対し、本件建物を引渡せ。

三  被告らは、原告に対し、各自、金一〇〇〇万円及び平成六年二月一日から前項記載の本件建物引渡に至るまで一か月金二五万円の割合による金員を支払え。

四  被告工藤智志(以下「被告工藤」という。)は、原告に対し、金二〇〇万円を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が、被告中川に対しては、本件賃借権の存在確認、本件賃借権に基づく本件建物の引渡及び平成二年二月一日から右引渡までの間に原告が被告中川の債務不履行により本件建物を使用できないことによる損害金として一か月金二五万円及びそのために原告の経営する美容院の顧客が他店に移ってしまったことによる損害金一〇〇〇万円の支払いを求め、被告工藤に対しては、平成五年六月以降本件建物引渡まで業務委託契約に基づく一か月金二五万円の運営費(このうち平成五年六月分以降平成六年一月分までの間については確定額として請求)、被告工藤が本件建物を原告に返還せず被告中川に引き渡したことから同所において原告が経営していた美容院の顧客が他店に移ったことによる損害金一〇〇〇万円を、それぞれ請求する事案である。

二  争いのない事実

1 原告は、昭和四三年一月九日、その当時の本件建物の賃借人であった訴外古市守及び古市行雄からその賃借権を譲り受けた。

2 原告は、昭和四三年一月二〇日、本件建物につき、使用目的を美容院店舗として、期間二〇年により賃借し、本件建物の引渡を受けて同所で美容院を経営してきた。

3 原告と被告中川は、昭和六三年一月二〇日、従前と同様の使用目的、期間三年により、本件建物につき賃貸借契約を締結し、次いで平成三年一月二〇日、同じく期間三年により同契約を更新した(以下「本件賃貸借契約」という。)。

4 本件賃貸借契約では、原告が本件建物の一部または全部につき賃借権の譲渡または転貸をした場合には、被告中川は何らの催告を要さずに直ちに右契約を解除することができるものと定められている(同契約書第七条)。

5 被告工藤は、友人である訴外株式会社ブライスの漆原(以下「ブライス」という。)を通じて原告を知り、原告と被告工藤は、平成四年二月二四日、次のような記載のある業務委託契約書を作成し、被告工藤は、原告に対し、保証金及び権利金の名目でそれぞれ五〇万円を支払った(以上の契約を総称して、以下において「本件業務委託契約」という。)

〈1〉 契約締結日 平成四年二月二四日

〈2〉 目的 美容に関する運営業務の委託

〈3〉 運営費用 一か月金二五万円、毎月二七日限り翌月分払

〈4〉 期間 平成四年二月一日から平成六年一月三一日

6 被告工藤は、平成四年二月二四日ころから平成六年一月末日までの間、本件建物において「シックチアー」という名称で美容院の業務を行った。

7 被告工藤が本件建物において美容院の業務を行うにつき、原告は、従前、本件建物で自己が経営していた美容院時代の顧客のカルテを被告工藤に対し引き継ぐこともなく、また、被告工藤に対し、委託料等何らの金員も支払わなかった。

8 被告中川は、前項の契約及びそれに基づく被告工藤による本件建物の利用が、原告による本件建物の無断転貸であるとして、平成五年七月一五日付け内容証明郵便により原告に対し本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、同日ころ、その意思表示は原告に到達した(以下「本件解除」という。)。

9 被告工藤は、平成六年一月末日、本件建物から退去して、被告中川に本件建物を引き渡した。

10 被告中川は、平成六年二月以降、本件建物を自己の娘に賃貸のうえ引渡し、これをスナックとして使用させている。

三  原告の主張

1 原告と被告中川は、本件賃借権が譲渡権利付きであることを確認のうえで、本件賃貸借契約を締結した。

2 原告と被告工藤が締結した本件業務委託契約は、その名のとおり業務委託を目的とするものであって、本件建物を転貸するものではない。

3 仮に本件業務委託契約による原告の被告工藤に対する業務委託が無断転貸となるとしても、以下のとおり、右転貸については背信性を認め得ないという特段の事情があり、本件解除は無効である。

〈1〉 本件業務委託契約の当時、原告経営の美容院の美容師が辞め、他の美容師を捜していたところ、被告工藤から右業務委託の申し入れがあり、原告としては、店長として美容業務を任せられれば丁度よいと考えて本件業務委託をしたものであり、転貸するという意思はなかった。

〈2〉 本件業務委託契約締結の前後を通じて、原告も被告工藤も本件建物で美容業務を行っているのであり、利用目的なり利用形態に変更はなく、客観的には、賃貸人である被告中川に何ら痛痒を感じさせていない。

〈3〉 被告中川が本件解除をした目的は、新たに被告工藤と本件建物につき賃貸借契約を締結し、権利金及び保証金を取得し、かつ賃料を増額させるためである。

〈4〉 原告は、本件建物で美容業を営むことで生計を維持してきたものであり、本件解除により収入の途を失うこととなり生活に窮し、その影響及び被害は甚大である。

〈5〉 原告は、本件賃借権が譲渡権利付きであると考えており、本件業務委託契約による被告工藤による本件建物利用が本件賃貸借契約に違反するとの認識はなかった。

〈6〉 原告は、前記争いのない事実1記載の賃借権譲受けの折り、古市に対し権利金等として金五三〇万円を支払い、被告中川は、右の譲渡に際し、名義書換料として金三〇万円を受領していた。

4 原告は、被告らの各行為により次の損害を受けた。

(一) 被告中川

〈1〉 前記のとおり、被告中川が原告に対して本件建物を引渡さないのは賃貸人としての債務不履行であり、平成二年二月一日から右引渡までの間に原告が本件建物を使用できないことにより一か月金二五万円の損害が生じている。

〈2〉 原告が本件建物で美容業を行うことができないことにより原告の美容院の顧客が他店に移ってしまい少なくとも一〇〇〇万円の損害を生じた。

(二) 被告工藤

〈1〉 平成五年六月以降本件建物の引渡まで業務委託契約に基づく一か月金二五万円の運営費ないし同額の損害金

〈2〉 被告工藤が本件建物を原告に返還せず被告中川に引き渡したことから同所で原告が経営していた美容院の顧客が他店に移ったことにより少なくとも一〇〇〇万円の損害を生じた。

四  被告らの主張

1 被告ら

(一) 本件賃貸借契約はもちろんのこと、同契約と別個になされている昭和四三年一月二〇日締結の賃貸借契約(以下「旧賃貸借契約」という。)により原告に認められる賃借権は、いずれも無断転貸及び無断譲渡が禁止される権利であり、右各契約において譲渡権利付きの賃借権を認める旨の合意はなされていない。

(二) 原告と被告工藤が、業務委託の名称により行った本件業務委託契約の実質は、以下の事情からみて無断転貸である。

〈1〉 本件建物において営業する美容院の名称の決定は被告工藤に一任された。

〈2〉 被告工藤は、本件建物以外にも、東京都世田谷区奥沢で美容院を経営し、その名称も本件建物における名称と同じ「シックチアー」であった。

〈3〉 本件業務委託契約により被告工藤が原告に対し運営費の名目で毎月支払うべき定額二五万円の実質は本件建物の賃料である。

〈4〉 前記争いのない事実5及び7(原告から被告工藤に対し委託料が支払われていないこと、被告工藤が本件業務委託契約に際して、原告に対し、保証金及び権利金を支払っていること、原告が従前の顧客のカルテを被告工藤に引き継がなかったこと)

〈5〉 被告工藤が本件建物でシックチアーの名称で美容院を開店するについては、店内の備品のほとんどすべてを被告工藤において買い揃えており、原告の備品はほとんど引き継がなかったうえ、店内の内装についても被告工藤において行った。

〈6〉 原告は、被告工藤に対し、同被告が被告中川のもとに絶対に行かないよう指示し、無断転貸が被告中川に発覚しないようにと注意を促していた。

2 被告工藤

(一) 被告中川から原告に対する無断転貸に基づく本件賃貸借契約の解除の意思表示が平成五年七月一六日到達し、被告中川から被告工藤に対する明渡通知が同月二二日ころ到達したものであり、これらの事情は本件業務委託契約の前提を覆し、これにより同契約も終了するべきものであるから、同契約は遅くとも同月末日をもって終了し、したがって、被告工藤としては原告に対しその後の運営費等の支払義務を負わない。

(二) 被告工藤は、本件業務委託契約に際して、原告に対し、保証金及び権利金を各五〇万円の合計金一〇〇万円を支払っているところ、前記のとおり、本件業務委託契約の実質が本件建物の無断転貸契約であるとすると、右金員もその実質が敷金の性質を有することになるから、現時点において、被告工藤は原告に対し、敷金一〇〇万円の返還請求債権を有することとなる。そこで、被告工藤は、平成七年七月一七日の本件口頭弁論期日において、右返還請求債権をもって原告主張の被告工藤に対する債権と対当額で相殺する旨の意思表示をした。

五  争点

1 本件賃貸借契約は、本件賃借権の譲渡権利を原告に認めているものであるか。

2 本件業務委託契約は本件建物の転貸借に該当するか。

3 原告による転貸借には背信性を有しないと認めるに足りる特段の事情があるか。

4 原告の損害の有無・範囲・金額

5 被告工藤による相殺の可否

第三  判断

一  本件賃借権についての譲渡性の有無

1 原告は、本件賃借権に譲渡性がある旨合意されたと主張し、これに関する書証(甲第二号証、甲第三号証、甲第五号証。以下、書証につき「甲二」等と略称する。)を提出する。

2 まず、甲二をみると、この書証は、以前の賃借人であった訴外古市守及び古市行雄から原告が本件建物の賃借権を譲り受ける旨の合意内容が記載されている契約書面である、その文面中には右賃借権が譲渡権利付きである旨の文言は見当たらない。かえって、譲渡者である右古市らが家主の承諾を取りつけるべき債務を負担している旨の記載があり、家主の承諾がない場合には、右賃借権の譲渡の効果を家主に主張することができないことを前提とする合意内容とも窺われる。

3 次に、甲三をみると、同書面は原告と被告中川とが締結した最初の店舗賃貸借契約の内容を記載した契約書面であり、原告は、同契約書中の第一二条の記載をもって本件賃借権の譲渡権利の根拠とするものである。ところで、同契約書では、その第五条において賃借権の譲渡及び転貸を絶対禁止する旨記載されているのみならず、第一二条自体においても、賃借権の譲渡については結局のところ家主の承諾を要するものと規定している。これら契約条項を合理的に解すれば、原告による本件建物の賃貸目的が店舗使用であったため、将来、原告が賃借権を譲渡する可能性もあったことから、その途を全くふさぐことは避けるものの、なお、賃借権の譲渡に基づく効果を家主に主張することができるためには、その時点における家主の承諾を要することを合意したものと認められる。

なお、証人津島勤は、前記第一二条の規定をもって本件賃借権につき譲渡権利付きの合意があったかのよう証言をしているが、同証書の趣旨も、右に認定した限度の契約内容を表現するものと解され、それ以上に、右譲渡権利が原告と被告中川との間で合意されたとまで言い切る趣旨とは認めがたい。

このように、甲三という書証が当事者間で作成されたということのみによっては、旧賃貸借契約の時点においても、その賃借権につき譲渡権利が付帯する旨の特約が成立したことを認めるには至らない。

4 さらに、その後、原告と被告中川との間で取り交わされた契約書面では、いずれも、他に何らの留保の条項なしに、その第七条で、賃借権の譲渡及び転貸を禁じる旨規定されており、同書面からは、賃借権の譲渡権利の存在が前提とされていたと認めることは到底できない。

5 また、原告作成の陳述書では、原告が本件賃借権につき譲渡権利を有するとの記載があり、その内容は原告本人尋問の結果と符合するが、いずれも前記の書証の各記載とは一致せず、かえって、原告本人尋問の結果によれば、原告としては、本件賃借権が譲渡権利付きであるということは賃借権の譲渡人であった前記古市らから聞かされていたにとどまり、右権利の特約について被告中川との間で合意内容を明確に確認することがなかったことを、原告においても、本件賃借権が譲渡権利付きであっても、なお、これを勝手に譲渡することができないと考えていたこと、今回の、原告と被告工藤の本件業務委託契約により同被告が本件建物を使用することになった場合、そのことが無断転貸となり、家主である被告中川との関係では契約違反となると原告が思っていたこと、本件賃貸借契約締結及びその契約更新に際してそれぞれ作成した契約書面については、原告が自ら各書面に署名押印したことが認められ、右の事実関係に照らせば、原告としては、遅くとも右各契約書面作成までには、本件賃借権が譲渡権利付きではないものと認識していたと認めることができ、原告本人尋問の結果中の右認定に反する供述部分は信用せず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

6 右のとおり、本件賃貸借契約では、本件賃借権につき譲渡権利を原告に認める旨の合意は成立したと認めることはできない。

二  本件業務委託契約の実質と転貸の有無

1 被告工藤が、平成四年二月二四日ころから平成六年一月末日までの間、本件建物において「シックチアー」という名称で美容院の業務を行っていたことは当事者間に争いがない。そして、本件業務委託契約の実質につき、被告らは本件建物の転貸借であると主張するのに対し、原告は、まさにその名のとおり業務委託契約であって、被告工藤による本件建物の使用は転貸に該当しないと反論する。そこで以下において本件業務委託契約の実質について検討する。

2 本件業務委託契約に関する書面としては覚書がある。同書面では、第一条において、原告が代表者を務める訴外有限会社ジェイ・エス企画(以下「ジェイ・エス企画」という。)が被告工藤に対し美容に関するすべての運営業務を委託する旨が記載されているものの、被告工藤が行う美容院店舗の名称については、被告工藤において決定し、原告がまったく関与しないものとされていること(第二条)、被告工藤が、毎月定額の運営費を原告に支払うものとされていること(第三条)、本件建物に関する毎月の光熱費についてはジェイ・エス企画が被告工藤に対し請求し、被告工藤がその責任において支払うものとされていること(第四条)、本契約に際して、被告工藤がジェイ・エス企画に対し、保証金として五〇万円、権利金として五〇万円をそれぞれ支払うものとされていること(第五条)、右契約期間の最初の月にあたる平成四年二月分の本件建物に関する家賃の負担につきジェイ・エス企画と被告との分担割合が決められていること(第六条第二文)、本件賃貸借契約の更新時において家主に対して支払うこととなる更新料についての被告工藤の負担割合が決定されていること(第七条)などからすると、同契約の実質の大半は本件建物の転貸借契約であると認められる。

3 これに対し、原告は、右の第二条の記載については、被告工藤の申出によるもので、原告としても全面的に業務を委託するものであることから了承したと説明する。

しかしながら、《証拠略》によれば、本件業務委託契約締結については、ブライスがこれを仲介したが、ブライスが被告工藤に対し持ちかけた契約内容は美容院店舗の借家であったこと、その当時、被告工藤は、すでに東京都世田谷区内で「シックチアー」の名称により自ら美容院を経営しており、平成四年一月ころ右契約に先立って原告と被告工藤が挨拶を交わした際、被告工藤は原告に対し右店名で美容院を経営していることを名刺を差し出して告げていることが認められることからすれば、右の第二条の規定もこのような被告工藤が自己の店舗を本件建物に構えるといった事情を前提に合意されたものと解される。

また、原告が本件建物で行っていた折の顧客のカルテを被告工藤に引き継がなかったことは当事者間に争いがないところ、その事情につき、原告は右カルテの引き継ぎを被告工藤から拒否されたとするが、もし原告からの業務委託を受けて本件建物において従前の業務と同内容の美容院を営むとするならば、従前から本件建物の店舗に来店する顧客の数、美容業務における各顧客ごとの対応の仕方等のノウハウは、業務を委託された者にとって必須の資料であり、その引き継ぎを拒否することは到底考えられず、しかも被告工藤としては、本件業務委託契約締結の当初には、顧客のカルテの存在を原告から知らされず、後日、たまたまその存在を知ったというものであることからすれば、原告の右供述を信用することはできず、この点からも、右契約後の本件建物での美容業務が被告工藤自身の独自の営業であったことが推認される。

さらに、《証拠略》によれば、従前、本件建物内に設置されていた什器備品についても、結局、大半は被告工藤において取りそろえて設置したものであったことが認められるから(この認定に反する原告本人尋問の結果中の供述部分は信用しない。)、店舗の施設面からしても、被告工藤による美容業務をもって原告からの委託業務とみることは困難である。

4 また、原告は、右の第三条の記載について、原告としては、当初、原告から被告工藤に対して毎月委託料を支払うという契約内容を考えていたが、被告工藤からの提案で毎月固定した運営費を被告工藤が原告に支払う旨の合意となり、原告としても、従前の毎月の売上を前提として、算出される純利益が二五ないし三〇万円であったことから、右契約において運営費月額二五万円と合意されたとする。

しかし、従前の売上額がどの程度あったかはともかくとして、売上額自体はたえず変動するものであり、かつ右契約が業務委託であるとするならば、毎月の売上からその月に対応する経費を控除した純利益を算出し、原告から被告工藤に対し委託料が支払われるのが通常であって、従前の純利益額がどの程度であったかということと固定された運営費を被告工藤が原告に対し支払うことが直結するものではないというべきである。のみならず、原告は、被告工藤から受領することになる右運営費(二五万円)のうちから被告中川に対する本件建物の家賃(一三万円)を支払うこととなっていたと供述するが(原告本人第三七項)、前記のとおり、原告は、従前の美容院経営において得られていた毎月の純利益(店舗家賃を控除した後の純利益が二五ないし三〇万円)を前提として、あえて固定額の運用費の支払を受けることを合意したというのにもかかわらず、さらに受領した運営費のうちから被告中川に対し本件建物の賃料を支払う旨を合意したという原告の供述はにわかに信じがたいといわざるを得ない。

これらの事情からすると、原告が本件業務委託契約をするに至った目的には、業務による利益に関与するということが含まれていないとみざるを得ない。このことは、また、被告工藤による美容院業務開始後において原告が本件建物での売上状況をまた把握していないこととも符合する。したがって、本件業務委託契約によって原告に委託業務の内容や量に相応した法律関係が形成される余地がなく、原告と被告工藤との間は、もっぱら原告による運営費名義の毎月の固定額の受領と被告工藤による本件建物の店舗使用という法律関係に尽きるものというべきである。

5 さらに、《証拠略》によれば、原告が本件業務委託契約を締結するに際して、ブライスに対し、同契約の締結が本件建物の転賃借になるのではないかとの懸念を示していたことが認められる。右の事情によれば、本件業務委託契約は、契約の呼称こそ業務委託契約となっているが、その実質は本件建物の転貸借というべきである。

6 なお、被告工藤は、被告中川及びその妻に対し、原告経営の美容院の店長であるとの言動に及んでいるが、後記認定のとおり、右言動は、あくまで被告工藤による本件建物の使用が無断転貸借であることが被告中川に判明しないようにするためのものであったと認められるから、右言動が認められるがゆえに前記認定が覆されることにはならず、他に、右認定を覆すに足りる証拠はない。

7 右のとおり、本件業務委託契約による被告工藤の本件建物の使用は無断転貸借に該当する。

三  転貸借に関する背信性の有無

1 原告は、業務委託が無断転貸となるとしても、本件には背信性を認め得ないという特段の事情があり、本件解除は無効であると主張する(原告の主張3。なお、以下に記載する〈1〉等の数字は、同主張中の番号である。)。

2 しかし、まず、前記認定のとおり、本件賃借権には譲渡権利が付与されていないものであるところ、本件業務委託契約の実質が、転貸借契約であり、かつ、同契約に関する客観的事実を原告が認識している以上は、原告が同契約なり被告工藤による本件建物の使用が転貸借にあたらないと考えていたとしても、そのこと自体は、背信性を認め得ないという特段の事情があるとはいえない(〈1〉、〈5〉)。

3 また、前記認定のとおり、本件業務委託契約締結により現実に本件建物を使用する店舗経営者に変更が生じるものである以上、同契約の前後を通じて同一の業務、同一の利用目的であるとしても、そのことが、本件における転貸借につき背信性を認め得ないという特段の事情になるとまでいうことはできない(〈2〉)。

4 次に、原告は、被告中川による本件解除の目的が、新たに被告工藤と本件建物につき賃貸借契約を締結し、権利金及び保証金を取得し、かつ賃料を増額させるためであるとして、この事実が本件の転貸借につき背信性を認め得ないという特段の事情になると主張するが、右のような目的をもって被告中川が本件解除に及んだことを認めるに足りる証拠はない以上、原告の右主張(〈3〉)は採用できない。

5 さらに、原告は、本件建物で美容業を営むことで生計を維持してきたものであり、本件解除により収入の途を失うこととなり生活に窮し、その影響及び被害は甚大であると主張する(〈4〉)が、《証拠略》によれば、本件業務委託契約締結当時、原告は本件建物以外の二店舗において同種の美容院を経営していたことが認められ、原告の生計が本件建物における美容院経営のみに依存していたという事実は認めがたいから、原告の右主張も採用できない。

6 その他、原告は、前記争いのない事実1記載の賃借権譲受けの折り、古市に対し権利金等として金五三〇万円を支払い、被告中川は、右の譲渡に際し、名義書換料とし金三〇万円を受領していたことを指摘する(〈6〉)が、この事実によっても、本件の転貸借につき背信性を認め得ないという特段の事情になるものとは到底いえない。

7 右のとおり、本件の転貸借について背信性を認め得ないという特段の事情を認めるに足りる証拠はいまだ存しないというべきである。

かえって、《証拠略》によれば、原告が、本件業務委託契約の実質が転貸借であることを被告中川に知られまいとして、事実に反し、被告工藤が原告の経営する美容院の店長である旨を被告中川らに告げ、あるいは被告工藤をして同様な発言をなさしめたことが認められる。

四  右のとおり、本件解除は有効であるから、本件解除の無効を前提とする原告の被告中川に対する各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

五  損害(被告工藤との関係)

1 まず、前記のとおり、原告と被告工藤の間に本件業務委託契約が成立し、かつ、被告工藤は、平成五年六月以降平成六年一月末日まで、右契約に基づき本件建物を使用してきたものであるから、右の期間に対応する月額二五万円による合計金二〇〇万円の支払義務がある。

2 次に、平成六年二月一日以降の月額二五万円による運営費の支払義務についてみるに、被告中川から原告に対する無断転貸に基づく本件賃貸借契約の解除の意思表示が平成五年七月一六日到達し(当事者間で争いのない事実)、被告中川から被告工藤に対する明渡通知が同月二二日ころ到達したものであり、右解除通知なり明渡通知は原告の被告中川に対する債務不履行に起因しているというべきで、右各通知内容にある被告中川の請求内容に対して被告工藤がこれを拒否できる事由もないことからすれば、被告工藤が本件建物を被告中川に対して引き渡したことには債務不履行の事由を認めることはできず、その後、被告工藤は、本件建物において前記美容院業務を行っていないのみならず、その他、本件建物を利用することもないものであるから、平成六年二月一日以降については、右業務ないし本件建物の使用に伴う前記運営費名下による金銭の支払義務を負うものとは解されない。

3 さらに、被告工藤が本件建物を原告に返還せず被告中川に引き渡したことから同所で原告が経営していた美容院の顧客が他店に移ったことにより少なくとも一〇〇〇万円の損害を生じたとする原告の主張については、前記認定のとおり、被告工藤が本件建物を原告に返還せず被告中川に引き渡したことが被告工藤の債務不履行と認めることができない以上、その余の点について判断するまでもなく理由がないといわざるを得ない。

六  相殺の可否

1 被告工藤が、平成七年七月一七日の本件口頭弁論期日において、同被告が本件業務委託契約において原告に対し支払った保証金五〇万円及び権利金五〇万円の合計金一〇〇万円につき、同契約の実質が転貸借であるので同契約の終了にともない、同被告には原告に対する各金員の返還請求債権があるとして、原告主張の被告工藤に対する債権と対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは、当裁判所に顕著な事実である。

2 そこで、右保証金及び権利金の法的性質について検討するに、《証拠略》によれば、右金員は、本件業務委託契約につき被告工藤の債務不履行により生じた損害を填補するために交付されたものであることが認められ、右不履行により損害が発生しない場合には右金員が返還されることが前提とされていたと解すべきである。そして前記認定のとおり、本件業務委託契約の実質が本件建物の無断転貸契約であることからすれば、右金員の実質は敷金の性質を有するものというべきである。したがって、被告工藤は原告に対し、敷金一〇〇万円の返還請求債権を有することとなる。

3 そうすると、前記相殺の意思表示により、原告の被告工藤に対する前記運営費二〇〇万円の請求債権が右敷金返還請求債権額一〇〇万円の限度において消滅することとなる。

4 右のとおりであるから、原告の被告工藤に対する前記運営費支払請求債権は金一〇〇万円の限度で存在することになる。

七  結論

以上のとおり、原告の請求は、被告中川に対する関係ではすべて理由がなく、被告工藤に対する関係では、前記運営費金一〇〇万円の支払を求める限度で理由があり、その余の請求はいずれも理由がない。よって主文のとおり判決する。

(裁判官 沼田 寛)

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